彼らに学んだこと
ARMYになってはや一年。
コロナ禍のほとんどを第二子の産休育休で過ごした私はこの冬に復職した。
長い赤ちゃんとの生活にピリオドを打ち、久しぶりに出る社会。
2ヶ月が過ぎようやく仕事に慣れてきたところで、最近ふと考えることがある。
彼らだったらどうするだろう、と。
BTSをまだ知らなかった頃。
韓国のよく知らないアイドルだと思っていた頃。
BTSを知らない人を探す方が難しくなっているほどの今は、自分が非ARMYであるなんて想像もつかないのだけれど。
BTSの誰が好きなん?
○○はめっちゃかっこいいな!
確かにそうだけど。でも、それだけじゃない。
《アイドル》という言葉の持つ、一種の軽薄さ。
私は妙にそれに抵抗があって興味を持つことも知ろうとすることもなかった。
この一年でどれだけ彼らに最高の意味で期待を裏切られてきただろう。
予想を、超えて、超えて、超えて、魅せ続けてくれる彼ら。
そんな彼らの魅力を顔がかっこいいとかそんな言葉でどう形容すればいいのか。
未だに誰かとBTSについてうまく話せたことがない。
私はナムペンでありグクペンであり、オルペンである。
同担の人に出会っても、他ペンの人に出会っても、BTSのファンでない人に出会っても、私は全然うまく話せない。
自分でもうまく説明できない。
どうしてここまで形容できないのか、書いては消し、書いては消し、どうして何一つまとまらないのか。
追いきれないほどのコンテンツ、供給、ARMYは休む暇もない。
過去を遡って彼らを見ると、その作品のクオリティに圧倒される。
そのほとんどどれもが彼らの手がけたもので、魂が込められた叫びなのだと知った。
たった1年で現在進行形の彼らを忙しく追いながら消化できるようなものではない。
アイドルだと思っていた彼らには表面的な軽薄さなどこにもなかった。
どんな状況でもただ一生懸命やってきた彼らを、成功した状況になって推し始めた自分。
販売のお知らせをチェックしたりグッズを集めるのも楽しい。
だけど本質的には私の推し活はそこにはない。と、この1年を通して分かった。
彼らの怒りや、叫びを聞きたい。
もっと何かに抗って尖っていたころの彼らを知りたい。
彼らのくぐり抜けてきたものを見たい。
そうして世界のスーパースターとなった彼ら。
その突き抜けた仕事ぶりを毎日見ている私も「仕事」というものに向き合う気持ちが変わってきたような気がする。
以前もサボっていたわけでもないし、それなりに一生懸命仕事をしていたとは思う。
今になって思えば「それなり」の範疇を超えていなかったなと感じる。
彼らならどうするだろう?という《仕事》としての視点を持ったとき、彼らの見せてくれているものの価値が改めてわかる。
あんなことがしてみたい、こうしてみたい、こう変えたい。
働く場所は同じでも驚くほど仕事がおもしろくなった。
うまくいかないことも、抗ってくぐり抜けたい。
しんどいことにこそ、やる価値があるように思えてきた。
私の心にあまりにも深く根を下ろし、染み渡っている彼らの言葉や姿勢、その存在が私の背筋を伸ばす。
明日は月曜日。またがんばっていこう。